非時(ときじく)の絵画
M画廊
2018年7月15日(日)~8月5日(日)










非時(ときじく)の絵画

 「価値がないものが、価値のあるものに変化していく」という昔話、「わらしべ長者」のエピソードをベースに、昨年の秋、M画廊で「藁しべの絵画」という展示を開催しました。当時、不十分な出来の作品や、未完成だった近作がアトリエに増えつつあり、自ずとそれらに加筆をしたことがきっかけでしたが、それは、「古いものを新しい作品へと再生し発展する感覚」といった、これまでとは異なる絵を描くアプローチとの出会いでした。作品の限界を自分自身で定めていた制作方法を深く省みる契機ともなり、そのような再スタートとしての意図と、ちょうど今日のアートシーンにも少し凝り固まった潮流を感じていていた最中で、それを解きほぐしてみたいという欲求や野心も沸いていて、その想いも潜在的に展示へと重ねたのでした。

 それから約一年。新しく出会った制作と向き合う一年でもあり、その成果や、次の発展の意味も込めて、今回、「非時(ときじく)の絵画」という展示名を考えました。「非時(ときじく)」とは、聞きなれない言葉ですが、正確には「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」という、日本神話に出てくる不老不死の実で、現在の「橘(みかんの原種)」の実のことです。「わらしべ長者」のお話では、「わらしべ」が、次に具体的に変化したものが「みかん」で、ちょうどその延長としても意味が当てはまったことと、「橘」が常緑樹で、その実の香りがいつまでも続くことから永遠を喩え、時間の束縛を受けない「非時」という異名がついたようで、旧作が時間を超えて新作へと繋がり、表現の希求を改めて再開し始めた私自身の態度や姿勢の代弁にもふさわしく、そこで制作した作品を「ときじく」のシリーズとし、この展示の中心にして臨むことにしました。

 今回、そのような自分自身の内面の変化もタイトルで示唆しているように「時間を超えた表現の結びつき」を、自分なりに考え、制作と向き合う時期やタイミングでもありました。私の作品は一見、「抽象表現」と呼べるような絵画を描いています。が、当時アメリカが、他のジャンルを受け付けない方法や、ヨーロッパとは異なる視点として編み出した「抽象表現主義」とは、地理的・歴史的にも大きな隔たりがあり、むしろその制約や制限を越えて、今日の日本という状況の中で「抽象の可能性を再抽出する」ことに、今日の新しい絵画の在り方や、未来があると強く考えています。「表現」の本来あるべき自由、時代や国境・文化などの様々なジャンルの壁を超えて、新しいイメージを継承しようとするとき、人間の探求(欲望)の触手に振り回されない人間性の本質も、そこで試されるではないでしょうか。

 「無知や異端をも武器に、自由が散乱している現代」とも言える今日の「なんでもあり」な美術の風潮を前に、改めて表現と深く冷静に向き合いたいと言う思いが大きくなる中、日本が古来から持つ伝統や美意識、そのようなものを今日に少しでも自在に引き出し継承できれば、と思い臨んだ展示でもあります。

2018年7月 門田光雅


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