ギャルだからって入りやめてくれ 軽率なギャルはギャルをリスペクトするならやめるべき
2020年3月14日 (土)- 4月5日 (日)
EUKARYOTE (東京)

●パノラマビュー
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ギャルだからって入りやめてくれ 軽率なギャルはギャルをリスペクトするならやめるべき


カルロス・ゴーンがレバノンに逃亡して、ドナルド・トランプがイランを攻撃したニュースが飛び交った年末年始を傍目に、ユーカリオの鈴木さんから教え子の藍嘉比さんとの展示の打診があった。最初は、制作のスタンスやポジションもだいぶ違う相手に、全く展示の想像がつかなかった。ただその時、卒業制作のシーズンで、僕が学生だった頃の作品を思い返す機会もあって、ふつふつと展示をしてみたい気持ちが湧いてきた。

藍嘉比さんは、僕が東京造形大学で教鞭をとっていて、彼女が2・3年生のときに制作の指導をしていたのだけど、3年生の講評会で、「セザンヌが山をモチーフにしたように、私の目の前には常にアニメやマンガがあったんだ」というようなことを、作品の前で絞り出すようにして訴えていた光景が、脳裏に焼き付いている。
この時、僕は「彼女は”描きたいもの”がある人間なのだ」と思った。と同時に「教育」というものが、あまりドメスティックに、その人の人格を矯正しすぎる真似は良くない、という反省の念も改めて覚えたのだった。

海外のアートシーンでは、「アイコニック」という言葉があって、表現や作品が、その作家そのもののイメージとして成立していることが、評価や判断の基準の一つになっているという話を聞いた。つまり、草間さんだったら水玉の…村上さんだったらサブカルの…というように、特定の象徴性を確立することが、重要であるようだ。
が、もちろん、これは捉え方の一つなのだと思う。

作品とは、その人の中身から、自ずと滲み出てくるものであって、置かれた環境や様々な出会い・出来事に研鑽される中で、自分自身の立ち位置を切り開いたものが、結果的にアイコニックな表現者になるのではないだろうか。単純な方法論として、マイノリティを主張することが、多様性の一つなのではなくて、むしろ、その状況と向き合った先に見えるものが、今日の「多様性」の一つへと繋がっていく…美術とは、そのような循環であると、僕は願いたい。

「ギャルだからって入りやめてくれ 軽率なギャルはギャルをリスペクトするならやめるべき」

これは、藍嘉比さんが年頭に、Twitterで呟いていた言葉だ。年末から自身の在り方がモヤモヤしていた僕に、このちょっと意味深な呟きが、妙に引っかかった。ぎこちなくとも、瑞々しい言葉と、目と、身体に宿るものの強さを、改めて信じていきたい。


2020年2月 門田光雅



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